Hermony of the spheres

思考の垂れ流し

ALL is NOTHING

英語でタイトルをつける自分にハマっているわけではない、ハズ

ただより自分の言いたいニュアンスを適切に表すために英語っつーか、他言語の方が的を射たりと感じる時ってたまにある

 

 

なんでもいいはみんないやと同義だし、みんな好きはだれも好きじゃないと同義だと思う

でも、なんというかこう、"みんな好き"と"きみが好き"を両立してる人を見かけるとすげえと思う(語彙力)

 

きっと、心のスイッチをうまく切り替えられるというか、よくわからないけど、わたしもそうなりたい

 

でもわたしは、ALLなんていらない some of them があれば十分

 

だけど、ALLを手に入れる必要があるなら、手に入れてみせようと思うし、人間関係構築ゲームに気持ちを向けてみようと思う

 

 

わたしは小さい頃、父親が大きな声を出したり殴ったり、無視したり、そういうのを見て育ってきたし、そういう前提がなくてもきっと、結婚のメリットがわかない

紙切れ一枚に自分の人生縛られたくないし、紙切れ一枚じゃ人の心を縛るには心許ない

あと、わたしにはまだ読みたい本も行きたい場所もあるから、自分の人生の大半を子育てに割きたくない 自分の遺伝子を後世に残すことに罪悪感のない人間、どんな精神性をしてるんだ

 

 

でも、少なくとも結婚に限っては、メリットとかデメリットとかでするものじゃないらしい

4年間で出会ったいろんな人がそうわたしに示してくれた わたしもいつか、考えが変わる時が来るのかな

 

自由は孤独と表裏一体だけど、まあ何事にもプラスマイナスはつきものだし、全部を俯瞰すればどっかで釣り合いが取れてるのかなと思う

 

 

 

例えば絵や書をみたとき、音楽を聴いたとき、それに何かを感じるためには自分の中にそれに反応する要素がないとだめなんだけど、そんな要素を増やしていきたい

 

そしたら、わたしの結婚や家族に対する感じ方もいつか変わるのかな

 

育ちが悪いことも、自分がコンプレックスの塊のことも、早く忘れてしまいたいし、周りに仲良くしてもらえるわたしでいたい

こみっとすーいさいどの勇気がないし、生きるのなんて死ぬまでの暇つぶしだから

 

 

何かを成し遂げるためにあがくほど若くないし、自分のこの瞬間の積み重ねが自分の実力だと思えてるかもしれない点は唯一の長所かもしれない

まだまだそんなに解脱できてないけど

everything needs...

自分で言うのもアレだけど、過去記事を書いていたわたしは非常に的確に過去のワタシの考えていたことを書けていたなと思う。

でも、わたしに共感する人は極端に少ないし、わたしには到底共感できないものがいいねを稼いでいたりするし、世の中は棲み辛いなんて言う気はないけれど、おもしろいサムシングを探すのは労力がいるし半ば、というかほぼ全て運であるように思えてしまう。

 

去年までは、就活が憂鬱で苦痛で仕方がなかった。単純だから、説明会に行った企業ほぼ全てに対して"まあ、ここでもいっか"的なことを思っていたけど、気に食わなかったのは自分がシューカツに気を向けなければいけない身分であったことである。

決して"わたしはこんなところで終わる人間ではない"という野心や、"どの会社もカスだし自分が新しいものを作り上げてやる"といった想像力からではなく

 

卍デキる人間は高等遊民

 

 

という考え方が頭から離れなかった

 

 

文系で、しかも人文系で院にいくのは、お金の他に親の理解がなければ不可能である。院進の先に希望が見えなくても、やりたいことをやっていいよと言ってくれる親のいる人間がうらやましくて仕方ないし、今でもそう感じてしまう。 

 

世の中は金で、もしそうじゃないというのならそれはお金がないという危機感や絶望感を味わったことのない恵まれた人間の夢物語にすぎないけど、自分でどこかで折り合いをつけて、こみっとすーいさいどの瞬間まで生きなければならないのが辛い。

 

 

最近思うのは、現場を知る人間の話は重みが違うということである。ストレートで博士までいき、アカポスを得た人間よりも、現場(大学以外)を知って教員をしている人の話はリアリティがある。前も書いたけど、苦労をすることや苦労をした経験がその人を良い方に磨き上げる保証なんてゼロに近いんだけど、経験として、複数の場所を知っているというのは、きっといいことなんだと、自分に言い聞かせる。

 

さてここでタイトルに戻る。

everything  needs something

 something needs everything 

 

複数の場所を知るというのは逆に言えばスペシャリストの概念から離れることにならないか

もっと言えば、ゼネラリストの側面に介入しないとスペシャリストになれない風潮になってきたのか

 

 

なんかこんなことを思いました。

 

いんたーねっつに毒されて長文が書けなくなったのでまた今度

 

ろんぐたいむのーしー

メンヘラになると文章を書く気力が皆無になる

でも文章に起こすと後々色々おもしろい     わたしはこのブログに一貫して、同じことしか書いてない、つまり、進歩がない

 

年が明けてしまったしもっと言うなら2月になってしまった わたしは何も新しいものを得ようとしていないし、そんな気力もない よく公僕試験勉強してたなという感じ

 

旅をするバイタリティとクラシックに響く精神性を失ったら、本当にわたしはオワリだな 

びよりんに関しては、もっと上手くなりたいという意欲があるつもりだし、読みたい本がたくさんあるし、行きたい場所もあるんだけど、育ちが悪いコンプレックスがわたしをズタズタにするし、これは普通に育った人からすれば理解されないことだし想像できない感覚なんだよな

 

そもそもこういう思考回路が”甘え”なのかとか 

 

自分がなんちゃって鬱病なことを人のせいにしてはいけないんだけど、本当に精神的に追い詰められた時、だれかの感性に自分の持ちうる手段全部を使っても届かなかったから自分の価値のなさを実感せざるを得ない 

思い出の角砂糖を涙が溶かさないようにちまちまなめて生きていくんだけど、わたしはもうなめる角砂糖がない、それか、溶けきるのがこわいから上手くなめられないから、かえって一瞬でなめきってしまう

 

ああ文章がのらないな

 

ずーっと競争で、タテマエだけニコニコして、何が得られるのか

まあ大学4年間でトモダチと呼べる人を得られなかったわたしが何をいうかという感じだけど

 

 

わたしに与えられた、唯一といってもいい、他人と平等にある財産は、若いというただそれだけなんだけど、就職をして生きるために働いて、寂しさを紛らわすために家族を作ることは、若さの浪費にしか思えない、というか、狭い世界でルーティンをこなして生きていくことが、若さの浪費にしか思えない 

たとえルーティンだとしても、自分が一番楽しくてワクワクできる場所にいたいしそんな場所を見つけるために若さを浪費したいし思い出の角砂糖をなめたい

 

 

苦労をしたという経験がその人を美しくしてくれるわけでも、苦労をすることがその後の人生の幸せの保証をしてくれるわけでもない 自分はこんなに辛い思いをしたんだって自負になり、人に優しくなれなくなるだけだと思う 想像力の範囲は経験に制限される

 

何書いてるんだろ

 

最近自分が不本意に人に嫌われるわけがわかってきたけど、なおすためにはこの思考回路を根本的に変えなきゃいけないけど、わたしは実家が嫌いだしサークルに価値を見出せないしスポーツに興味がないしどうしたらいいんだ(ただようアスペ感)

 

早く大人になりたい

子どもの頃はよくそう思ってた

大人は自由だから

さみしいかもしれないけど、子どものとき、絶対の存在だと思っていた親がわたしの中で揺らいだ瞬間のさみしさにはかなわない

 

何か物をこぼしたとき、ママはわたしをめちゃくちゃ怒るのに、ママが物をこぼしてもだれも怒らないのがうらやましかった

きっと大人にはその自由と釣り合うだけの不自由があるんだと想像がついたけど、それでも自由がほしかった わたしにとって親は最後の砦に感じられなかったから

 

 

みんな虚しさや不満と両立してだれかといっしょにいることを選んでいるんだろうけど、わたしは自分の手に入るものは全部欲しいし不本意なものに時間を割きたくない

 

なんかうまく書けないな

 

 

でも人生終わると思うと、一眼もマムートのパーカーも、べつにほしくなくなるんですよね

人殺してみたいとかモテたいとか思うほど他人に興味もわかないし、わたしはサイコパス以下のただの無気力な若者なのかな

 

1人になってコンプレックスを断ち切ったら、なんでも出来る気がする まあ何にもできないんだけど、不本意にいっしょにいることを強いられる人といっしょにいるよりは、なんでもできる気がする

 

 

 

わたしは音信不通の子に持ってる連絡先ほぼ教えてあるのに何にも連絡来やしないし、メンヘラになって切られる人間関係程度だったんだなという感じ

わたしが悪いんだろうし何が悪いのかって言ったら全部なんだろうし判断がつかない

 

 

 

大人になったら〜〜になる(〜〜をしたい)って未だに口にしてしまうんだけど、何者にもならないまま何もなさないまま死んでいくのよな

 

フツーの人間が名を残す方法って犯罪者になるのが1番手っ取り早いのでは

 

 

ママとか妻とか会社員で終わっていくなら旅人として人生終えたい

音楽家も研究者も親や夫がいるから成り立つのであって1人じゃママとか妻とかになるのか精一杯だから

一生かけてせまっこい一区画の土地のためにローン払って生きていくのゾッとする

別に土地がたくさん欲しいんじゃなくて、自分がなりうるのは一個の立場だけで、わたしが自分のなりたいものに1番近い立場になるには何したらいいんだろうという話

 

 

どんなに人生終わってるとかいう人でもママと仲良しだからわたしからしたら人生全然終わってない わたしには何もない

 

1回千字くらい書くことを目安にしてるんだけどあとでなんかのネタにでもなるかな

健全な精神を得るためには健全な、それでいて自分との差異に隔たりを感じてしまわない程度に健全な精神と近くにいる他ない気がする どんな距離関係であれ

11月

どんどんクリスマスな街並みになっていくのか 

今年もわたしは何も見つけられなかったな

何度も同じこと書くけど後で読み返しておもしろいのと思考整理のためにブログ書いてるけどいーっつも同じこと書いてるように思う

死にたいか生きたいか聞かれたらラクに死にたい どうして死んじゃいけないかわからない 23歳なのに 勇気がないから死ねないだけじゃないの?

 

大学生になって1番嬉しかったことはヴァイオリンができたこと それ以外にない

どんなに鬱なときもわたしの精神に響くのは音楽だから、どんなに自分が仲いいと思ってた人が辛いとき、自分ごときが何を言ってもその人の心には届かないし、自分が辛いときはひたすら、精神に響くものを探すか死ぬかするしかない

 

生まれ変わってもまた、音楽が好きな精神性がほしい

 

 

昔は他人の学歴が気になったり、ゆーて自分はいわゆるネームバリューのあるところで働くものだと思ってた

なんかそういうの、どうでもよくなったってなったら変だけど、関心がなくなった

わたしは、ペーパーテストではそういうところにいけるかもしれないけど、ペーパーテストなんてまあガチればなんとかなるわけで、そこにいる人たちと精神性が合わない

みんないい子ちゃんだしお育ちがいい

 

この事実に気付いたのは高校受験後だったんだけど、8年経ってますます違和感が募る

自分が精神的にラクな場所と自分が目指したい、いきたいと思っていた場所は違うんだ

 

自己肯定感が低い人は自分のことを自己肯定感が低いなんて評価しないだろうから、わたしのはなんなんだろう

自分が入れた瞬間、入ろうとしていた母集団は自分の中で価値をなくす

 

 

おそらく自分の自意識が及ぶ場所を見つけておかないと孤独感に耐えられなくなってしまうからなんだろう 家族も、大学も会社も、なんかイッパシの理由をつけて、所有格のつく関係を意識して作らないと、孤独になりすぎちゃうんだろう

 

お金があったことないからわからないけど、お金があっても孤独なのかなあ お金があったらそこら中旅して回りたいし無限に寝たいんだけど、お金があったことないからわかんないや

 

 

わたしは怠惰で傲慢でどうしようもない人間なのか それすらわからない 判断がつかない だから人と関わることが必要なんだけど

 

シェムリアップって音が好きすぎてシェムリアップは行きたいし京都に紅葉を見に行きたい 

楽しそうに見える人も楽しいように努力をしているんだろうけどわたしは一人で寝ている方がラクだしそれより努力をすることが楽しいと思えないしどうしようもないなという感じ

タラレバ

わたしはどうして、フツーに馴染めない(馴染まない)精神性を持ってしまったのだろう

 

わたしのこの、常につきまとう鬱々とした気持ちは、”社会に興味ない自分カッケー””異端な自分サイコー”なんてカッコつけた、若気の至りあるあるから生まれたものなのか そうでないことを祈りたいけど自分では判断がつかない

 

 

↑ここまで昨日の

 

ぶやぶや着くまで暇なので

 

 

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大好きなブレハッチのリサイタルに行けた

また人生における悔いがなくなった

ブレハッチイケメンだった

わたしの好きなソリストはほぼ東欧の人だから東欧産のびよりんを買ってみたい

 

 

 

 

環境のせいにするのは甘え みたいな風潮があるけど、わたしは8割方環境がその人を決めるし、自分の育ちからは逃れられないと思う

そして、逆境を乗り越えてっょくなって、”環境のせいにするのは甘え”みたいな境地に達したら、きっと、もう人に優しくできなくなってしまうと思う

 

ワタシは自分自身のアイデンティティ、というか自分自身への愛着から逃れられないし、自分自身を完全に俯瞰するなんて不可能だと思うから

 

 

 

タイトルに戻ると、わたしが普通の感性を持っているにはどうしたらよかったかという話

 

まずわたしは、喘息がひどかった

幼稚園の頃、もっと小さい頃から、自分の意思とは関係なく突然咳が止まらなくなって息ができなくなってものすごい見た目になる

コンプレックスだった

そして当たり前だけど、親でさえも、周囲はなおさら、わたしの苦しみなんてわからない(と同様に、わたしもわたし以外の苦しみを理解することはできない)

嫌なことがあるとそれがストレスになって咳が出る

甘えだ みたいなことをたくさん言われた

わたしにはそれを乗り越えてまで人とコミュニケーションをとる気力がなかった

 

 

次にわたしは、家族がわからない

人と関わるようになって驚いたことは、世間一般の親は子どもにブスとか土人とか言わないのだ どんなにピアノが下手くそでも、花嫁衣装のようなドレスを着て、小さな発表会にも臨むのである

 

 

これは自分でもよろしくない表現だと思うけど、もう少しまともなカゾクを持ち合わせていたら、音大生くらいにはなれていたと思う

 

わたしは、自分と遊ぶ約束をした人に、家族を理由に断られるのが死ぬほど嫌いだった 自分のことくらい自分の意思で決めて断れよと思っていた

 

でも引っ越してきて、またいろんな人を知って、こんな気持ちで断るんだろうなってのが想像つくようにはなったから周囲に圧倒的感謝である

 

置かれた環境で咲くとかいうパワーワードがまかり通るならわたしは一生底辺だから、縁が切れて困る人もわずかだし、精一杯自分の好きなようにしぬ勇気が出るまで生きてみたい

 

 

 

 

今まで犯罪も犯してないし自殺未遂もせずによく生きてきたな自分って感じなんだけど、わたしには何か言われてこの人が言うならやめよう、みたいな自分のストッパーになってくれる人、追いかけたくなるほど好きな人を見つけられるほど精神的な豊かさがないことをかなしく思います

 

 

音楽だけが精神に染み渡るし、音楽だけが救い

 

 

星を数える

同じタイトルで2つブログ書いちゃったの、頭悪そうだし実際頭悪いしミスった

 

 

 

 

さてタイトル

雲仙で見た星はきれいだった

めちゃくちゃきれいだった

冬は雲がないからもっっっっときれいなんだって

しかも地熱で地面があったかいの

星がみたい

 

 

わたしはワガママだから、人に誕生日教えるのが好きじゃなくて、なんでかっつーと、どうでもいい人の誕生日なんてどうでもいいじゃん?

まぁ10月はわたしの誕生月です()

22歳を、好きな人ができることなく、音信不通の子と会うことなく終えてしまいそうです

 

わたしには生きる基盤がない

社会において生きる基盤は家族なんだけど、何でもかんでも家族が仲良い前提で話が始まる

わたしは家族に本音を言えたことがない

たとえばわたしは音大生になりたかったけど、反対されて喧嘩になると、「出て行け」って言われて本当に外に放り出されるから、父の言う通り、最適解を予測して、将来の夢は法曹にしてた

 

これはわたしが”勝手に”言い始めたことだから、周囲はわたしが”自発的に”法曹になりたいのだと思い込む

 

まぁ法曹には少しなりたかった

法律は社会のルールだから、「出てけ」と言われたときに、対抗する手段になるかなと思ってたから

 

未成年はいくら「出てけ」と言われて耐えきれずに家出しても、ただの家出少女の域を出ないのである

 

ロクに保護されなくても、十分に保護されているという前提で、子どもには家出少女のレッテルが貼られるのだ

 

 

わたしは出ていきたかったし、親がいないほうが将来金も同情も得やすいし、マシだと思ってた

 

何度も書くけど、就活をしなくていい人生、リクスーを着なくていい人生、ビジネスという単語に縁のない人生がわたしは理想だと思うし、夜中にこんなブログを書いているのは絶望的だと思う

 

 

 

結婚して子ども産んで死んでいく人生を受け入れなくちゃならないなら死んだほうがマシだし、周りは生きる基盤がある人ばっかりだし、わたしの人生これからどうなるんだという感じ

 

 

人に対して卑屈になっちゃうからだれとも仲良くできないし、たまにわたしのことを勝手に誤解してあとで愛想つかしてくる人もほんとむり 結局1人しかむり

 

大学に行く気が全く起こらない秋のはじまり

 

 

なんかもうわたしが悪いっていうなら弁解の気力も余地もないから、メンヘラ病院にブチ込むなり殺すなりしてほしい