外に出ること
外に出ること、ただ単に、1人で好きな音楽を聴きながら足が痛くなるまで歩くんじゃなくて(それもいいんだけど)、誰かと話すことをすると、自分の思考が整理されるし、新しい何かしらの感情が生まれるし、それを表現するための語彙が増えます
わたしは人と関わりたい欲皆無なので、説明会やら何やらは人と関わるいい機会になります
吸収できることは全部吸収したいし、精神を殺す練習になります
わたしはあとどれだけ「普通」になれば、劣等感や圧倒的底辺性を感じずに生きていけるのでしょうか
そう、前回書いた、音楽に関して唯名論か実在論か、、、なんてカッコつけた言葉を使わなくても、名前が事実というか存在に先立つのか、存在あってこその名前なのか というオハナシ
たとえば、街で自分にビビッと来る音楽を聴いた時、だれの、なんて言う音楽か、気になりますか
わたしは、気になりません
なんというか、次、その音楽そのものが流れればまた、きっとビビッと来るし、嬉しいんですけど、それでいいじゃんと思ってしまいます
アーティストや曲の名前で、自分の気に入った曲を判別しようという意欲(?)がありません
だから何感満載なんですけど、ずっとこんなことを考えてました
あーやっぱり、上手く書けないな
わたしは、音大生になりたかったんですけど、まあ無理で、でもそれより前に、「わたしはいつまでピアノが弾けるんだろう」という焦燥感が頭の中にありました
要するに、音大にいくということを認めてもらえて、あとはがむしゃらに練習するだけ って状態になれなかったので、そこから転じてというか、わたしには何もできないのです
別に病んでないけど、人生どうにでもなれ感が常にあるし、外に出るたびに、「普通」との差を、それを表す語彙が思い浮かばないほどに実感するし、学歴やら試験やらでは埋められない溝を、感じる必要はないのかもしれないけど感じてしまいます
音信不通の人はまた音信不通なんだけど、それはいいとして、わたしにはもう、「普通」の皮を被って人と接するしか生きていく方法がないことに絶望を感じます
18きっぷでどっかいきたい
長崎の伝来当初のキリスト教教会群を見に行きたい
野球とサッカーがわかる人、スポーツに興味がある人は、話の合う人の母集団も多くて有利だなと思いました
まーじで旅行いきたい
1人で好きな音楽聴きながら歩き回るのが1番楽しい
18きっぷほしーいー