Hermony of the spheres

思考の垂れ流し

トルコ

地球の歩き方買ってくればよかった〜〜

 

公僕試験に骨の髄まで支配されてるので憲法論述の本ずーっと読んでた

憲法国際法あと一個何しよ

 

 

気管支が落ち着いたから自分の意思に反して時間を浪費しなくていいの最高

 

わたし緊張すると、手足の肘膝から下が突っ張るっていうか、痛くなるんだけど、今まさにそれ 

何に緊張してるんだ笑

こんなんだったら本命の前とか泡吹いてしんでそう(それもいいな)

 

法律の論述は”写経”らしいので、ただひたすら模範答案を読み込んで、書ける論点を増やしたい

 

卒業までにやりたいこと色々

たくさん思いつくんだけどすぐ忘れちゃうの

 

卒論ガチ勢になる というか今から割と色々手を回してる

どこにいってもいつかは研究者になりたいので

一眼買う

やっぱりほしい 一眼持ってるウェイ大学生なんかウザいけどほしい

カメラ首から下げるやつ(名前思いつかない)にNikonとかCanonとか書いてあるのカッコイイ

夏は一眼もって富士総火演いきたい

 

アメリカ文学 について普通以上の知識を得る

わたしは東洋史をやらなかったらアメ文にいっていたかもしれないかもしれない、、、

憧れの先生の専攻はアメ文なので

小国の歴史はどうしても大国との関係から考えられがち(というか小国に興味を持つ機会が圧倒的に少ない)な風潮に抗おうとしているのですが、アメリカ社会についてもなんか、こう、話がわかるようになりたいです

 

 

自分の行動言動の結果として実際に得たものが、わたしの場合何回過去を繰り返しても同じものだろうし、好きなようにやることしかできないし、出た結果を享受していこうと思う

 

だれかのおかげで何かができてるって状態が苦痛なので、どう転んでもわたしの限界はわたしがつくることになるし、もしかしたら人よりだいぶ狭くなるけど、まぁ、いっかなって

 

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上野で買った頭悪そうな始祖鳥

メンヘラは人形がしゅきなの、、、♡

5月

今月は説明会を理由にしないで大学行きたいですね

 

最近思うのは、トモダチがいないのではなく、人間関係の維持がほんとにほんとにできないこと

高校までは、強制的に毎日顔を合わせていたワケですが、浪人、大学になると、会おうとしないと会わないから、会おうとしないと無限にだれとも会えないし、会う必要を感じないと気がついたらだれもいなくなってるんですよね

 

 

何が問題かって、それに不自由というか、さみしさとかなんか色々を感じてないとこ(?)

「トモダチがいないと単位が取れなぁい😂😂」

じゃあないんだよ

 

 

 

 

 

 

 

とれ

 

 

 

  (残単24並感)

 

 

 

 

 

 

協業と分業をする気にならないのよな 自分がクソって身に染みて知ってるのは自分だし、他人に対してって、根拠を持てないわけで、そんな不確実性いらないなあと

 

 

これはわたしが相手に思ってるだけでなく、相手もわたしに対して思っていることなんだけど、人間関係を保つ価値のある人って、そうそういない

 

こういう風に、人間関係って常に相手をなんらかの点である程度かは評価しているシステムで、家族って家族だからという理由でその評価をするシステムが機能することを許されないシステムで、理解できないなあと思います

 

 

 

 

 

どうしてこんなさみしい人生になっちゃったのでしょうか

最近ちょっとだけ精神が進歩して、自分をさみしい人間なのかなあと思うようになりました

 

 

河合塾の時の先生と、音信不通の子以外に、ゾクゾクするようなニンゲン、就職したら出会えるんだろうか

わたしの感性が鈍いのかもしれないけど、最高学府のニンゲンを見ても、はぁって感じだし、わたしが憧れるような年上の人も、若い頃はあんなんだったのかなって思う

 

 

やっぱり同世代とは、ただひたすらわたしが性格悪いせいで、仲良しになるのは大変そーだなー

 

そもそも自分に近い人間を受け入れられないって、現実の自分の状況を受け入れられないだけだったりして、とか、うすら寒くなりますね

 

 

 

試験が1つ終わったのに行政学政治学から逃れられないし、ミクマク民法もやらなきゃだし、効率悪すぎだろ自分

法律区分で受ければよかったって1秒に8572672回くらい思ってる

 

 

 

わたしは「人間になれ」るのかな(よく人間になれって言われる謎)(そもそも人間を育てるための教育を受けてない気もする)

正直今に、不満も不自由もあんまない

もう少しで本当の意味で自由になれるし、わたしの人生が始まるから

 

 

みずからかえりてなおくんば、千万人と雖も吾往かん

 

前半の漢字が変換で出てこない

 

まあようするに、好きなようにやり尽くしたら、ワンチャンアルッショウェーイってことを信じてます

GW

学生生活最後のGWが始まりました。

いいお天気で日焼け止めをぬりたくって外に出ました。キラキラJDなので

 

 

さて、1番最初の試験前日なのですが、まあ当たり前に緊張していて、ここ1週間くらいはムダに規則正しい生活をしていたりします。公僕試験に自律神経が支配されてるのを感じます。

 

就活は、よく思うのですけど大大喜利大会で、これはわたしにしか当てはまらないでしょうが、実家に帰ることを考えたら1572687256倍楽です。最近ママとパパの顔とか声とか思い出せなくなってきました。特に思い出すべき思い出もないのですが。

 

来年から、ママに依存せずに生きていけそうなのでその点精神が穏やかです。

家族を養うって、それによって自己肯定感が高まるから、制度として成り立つのかなあ。自分が稼いだお金誰かに使われるの絶対ヤダ

 

 

「自分がいるからこいつらは生きていけてるんだ」っていう自分が他者に、自分とほぼ同義の他者に、参与してる実感が得られるから 以外に家族を養うよろこびってなくない?わたしはそれしか思いつかない

 

 

小さい頃に愛は支配欲だよなって思ってしまってから、カゾクが気持ち悪くなった

 

 

 

 

 

 

明日の試験、勝ちたいですね。これ以上底辺に負け戦は許されない。

ソリストになれないと気づいた瞬間からわたしは虚無で、「自分がやりたいようにやった結果として得たものが、自分が望んだ結果であるといいなあ」って思ってて、今回の試験も、本命も、そんな風に考えています

 

 

就活の軸は、「やりたい放題やる」でした。解禁日に海外にいてもなんとかなるとイキり散らしていきたいですね()

信号機の色はなぜ夜景に馴染まないのか

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街灯の方が馴染まないかなあ

信号機の色もビルの電気も街灯の明かりも、みんな人工のもので、なんだかたまたまその色合いになっただけなのに、夜に付いているビルの明かりなんてたぶん残業の証拠なのに、きれいだなあとか思ってしまうわけです

 

来週も説明会だし大学に行く予定がない 卒論はやっつけ仕事にしたくないんだけど 文学部のプライド

 

わたしは、将来研究者になりたくて、御社はそれまでの食べていく手段に過ぎないわけですが、純粋培養のドクターと、社会に、「ビジネスに染まってしまった」ドクターでは、なんだか前者の方がよくありませんか

まーーーたわたしはそこにコンプレックスを感じてしまうわけです

純粋培養のドクターでも、研究者としてやっていけてる人は優秀な方なんでしょうけど、そこまでの基盤があったことにうらやましさを感じます。

 

だから、最近思うのは、わたしはこの先人に優しくなれないんじゃないかってこと

優しくしたいわけじゃないし、適性検査で、「他者に対する思いやりの気持ちが深い方だ」みたいな項目にハイをつけてしまう人間の精神性もわからないけど

 

たぶん、優しくできないってのは、人に共感できないことで、共感できないってことは、他者と、その人がどんなにいい人でも、心を共有できないことで、もしかしたら心を共有したい人すら一生見つからないわけで、結局は孤独への恐怖なのかな

 

で、わたしは、性格が悪いから、同世代にどう思われようと何でもいいし、小学校のころとか靴隠されたたりしたことあるけど、犯人なんかすぐわかるし、早くこんな精神年齢の低い人間と関わらなくてよくなりたいなって思ってた いつもどっかこうやって上から目線だから靴隠されるんだろうなあってわかってた

 

わたしは精神的におかしいのかなあー 頭に電流流したり、おくしゅりもぐもぐで普通の感性を手に入れられるならどれだけ楽か

 

ヒール履きたくないし化粧したくないし女がめんどくさすぎる 男だったら男だったでめんどくさいことたくさんあるんだろうけど

きっと、化粧をして、いい子ぶって、自分をよく見せるのも、大切な要素なんだろうな 知ってるけどできない

結局人生に危機感がないのかなあー フリーターなったらリゾバいけばいーやーくらいに思ってるし、ゆーて何とかなるっしょって思ってるあたり、本気でクソだと思う

 

 

Hello Mr.spring!

春ですね

4月ですね

久々更新

 

わたしはこれから、留学できても、ヴァイオリンが上手くなれても、心の底からだれかと仲良くなれたり、だれかに共感したりできない気がする

だって、「大学院にいく」とか「音大にいく」って選択肢が元々あった人がうらやましくて仕方ないから

自分で自力で何かを手に入れても、元から手に入ってる人には敵わないし、悪あがきをしているだけに思えて、虚しくなってしまう

だれも友だちだと思えなくなっちゃうから、法的にその関係を認められた「結婚」をするんだろうな 1人じゃきっとさみしすぎるから

わたしの考えだけど

 

人見知りだけど家族とは心を許す みたいのが意味不明だった

どうして「家族だから」大丈夫なの?近すぎる関係ってこわい 近くて当たり前だと思われてる関係がこわい

 

わたしはこのまんま、だんだん壊れていく気がする

気が触れた時、その深層にまともで正気を持ってる自分がいたらどうなるんだろう で、その自我自体は、「狂えない」の 狂っていく自分を、マトモで外に発信する手段を持たないまま見ていなきゃいけない...

前世の罪業深すぎィって感じだ

エンディングノートを書くことを真面目に考えつつあります 延命治療とかやめてほしい

 

人生どうでもいいから、だれに何思われてもどうでもいいし、そのうち何かやらかす度胸もないし、心の中に音楽があればなんとか生きてはいけそう

 

わたしもメンヘラになって、承認欲求満たしてくれる人、この人に認められたら嬉しいって人かつ自分にかまってくれる人がほしい

、、、そんな人なかなかいないし、メンヘラすげえな

 

河合塾に就職したいけど、事務はほぼ派遣らしくて希望がない

 

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ロクな春を迎えたことがないくせに、桜が好きだし春が好き あったかいしお散歩できるし

とりあえずこくそーまでがんばって勉強する 英語やらないと

外に出ること

外に出ること、ただ単に、1人で好きな音楽を聴きながら足が痛くなるまで歩くんじゃなくて(それもいいんだけど)、誰かと話すことをすると、自分の思考が整理されるし、新しい何かしらの感情が生まれるし、それを表現するための語彙が増えます

 

わたしは人と関わりたい欲皆無なので、説明会やら何やらは人と関わるいい機会になります

吸収できることは全部吸収したいし、精神を殺す練習になります

わたしはあとどれだけ「普通」になれば、劣等感や圧倒的底辺性を感じずに生きていけるのでしょうか

 

そう、前回書いた、音楽に関して唯名論実在論か、、、なんてカッコつけた言葉を使わなくても、名前が事実というか存在に先立つのか、存在あってこその名前なのか というオハナシ

 

たとえば、街で自分にビビッと来る音楽を聴いた時、だれの、なんて言う音楽か、気になりますか

わたしは、気になりません

 

なんというか、次、その音楽そのものが流れればまた、きっとビビッと来るし、嬉しいんですけど、それでいいじゃんと思ってしまいます

アーティストや曲の名前で、自分の気に入った曲を判別しようという意欲(?)がありません

だから何感満載なんですけど、ずっとこんなことを考えてました

 

あーやっぱり、上手く書けないな

 

わたしは、音大生になりたかったんですけど、まあ無理で、でもそれより前に、「わたしはいつまでピアノが弾けるんだろう」という焦燥感が頭の中にありました

要するに、音大にいくということを認めてもらえて、あとはがむしゃらに練習するだけ って状態になれなかったので、そこから転じてというか、わたしには何もできないのです

 

別に病んでないけど、人生どうにでもなれ感が常にあるし、外に出るたびに、「普通」との差を、それを表す語彙が思い浮かばないほどに実感するし、学歴やら試験やらでは埋められない溝を、感じる必要はないのかもしれないけど感じてしまいます

 

音信不通の人はまた音信不通なんだけど、それはいいとして、わたしにはもう、「普通」の皮を被って人と接するしか生きていく方法がないことに絶望を感じます

 

18きっぷでどっかいきたい

長崎の伝来当初のキリスト教教会群を見に行きたい

野球とサッカーがわかる人、スポーツに興味がある人は、話の合う人の母集団も多くて有利だなと思いました

 

まーじで旅行いきたい

1人で好きな音楽聴きながら歩き回るのが1番楽しい

18きっぷほしーいー

まいふぇいばりっとくらしかるみゅーじっく! その1

宣言通り、キモいブログ書こうと思います。そもそもこのブログは、わたしの思考の掃き溜めと、歴史と音楽を語るために作ったので、そろそろ、語りたい。

 

その前に、、、「仕事の愚痴を言わない」とか、「人の悪口を言わない」とか言う人いるじゃないですか。でも、愚痴も本音も言えない人間、トモダチじゃなくないですか?言う相手を考えろって話じゃないの?そんなきれいに生きてられないんだよオイって思いました。

 

 

さぁ、クラシックの話ですよ。

クラシック音楽にも、いわゆる「昭和歌謡」と呼ばれる歌があるように、時代性があります。もちろん当代に生きた作曲家たちは、その時代に制約を受けるわけですから、そんなことは意識していないのでしょうが、ある特定の時代に特有の曲調は存在します。(もしかしたら、時代性を意識した作曲家もいるかもしれませんが、彼らの認識を超えたところに、後世に生きるわたしたちが認識する「時代性」はあります、たぶん)

 

 

わたしは、バロックと呼ばれる時代の音楽(JSバッハやヘンデル、ヴィヴァルディ等)が、とっても好きです。時代的には、18世紀の半ばくらいまで。バロックという言葉は、最初は美術の時代様式を区分した言葉でとか、別名通奏低音(伴奏者が即興で音をつける)の時代とも呼ばれたとか

 

そんなことはどうでもいい!!(知らないよりは知ってたほうがよいのは当たり前)

 

重要なのは、バロック音楽の持つ性質が、それを聴く人間に、「美しい」とフィットすることだと思う。そもそも感性は多様であってこそだし、自分の心にフィットするのがクラシック音楽である必要は全くない

 

自分の心にフィットする、人間以外のもの、言い換えるなら何があってもなくならないもの(人は死ぬけど音楽は死なない)に出会えると、かなりメンタルを救ってくれますよね。うーんなんか違うなw

 

さて、バロック時代は、まだ、「音楽は人間が発する神への問いかけ」であった時代なのですが、こういう要素を持つものに惹かれるわたしは、いつか信仰の道に入ってしまうのでしょうか笑

 

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どどん!アルフレッド=ブレンデルは、わたしが小さい頃から親しんできたピアニストです。ピアノの音色というと、ルービンシュタインを思い浮かべる人が多数らしいのですが、わたしは彼の演奏が頭の中に流れます。

 

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 再びどどん!ヴィヴァルディといえばイムジチ合奏団!!いやぁリサイタルにいきたい。イムジチのおっかけをしたいからイタリアに留学するまであるぞ...。イムジチのCDも随分小さい時から聴いてました。

 

 

さて、最後なのですが、実在論だと思いますか。唯名論だと思いますか。わたしは音楽を聴くと、ずーっとこれについて考えてしまいます。ブルーインパルスパイロットについて語った時も同じようなことを書きました。

実在論(実念論?)、つまり普遍が個物に先立つか、唯名論、つまり、普遍は個物に対しての後付けでしかないか。

 

 

明日、気力があったらこんなことを語りたいと思います。