Hermony of the spheres

思考の垂れ流し

尊大な羞恥心

最近、というか、大学に入ってから小説を読むことをやめてしまった。

意図的にやめたわけではなく、半分はネットに毒されたからで、もう半分は、ただ単に新書ばかり読むようになってしまったからだ。

小説を読まなくなったのは、登場人物に共感できなくなってしまったからだと思う。小さい頃は、図書館に足繁く通い、それこそ片っ端から上限ギリギリまで本(小説)を借りて部屋でお菓子を食べながら読んでいた。小さな地元の図書館を当たり前だと思っていたので所狭しと本が並ぶ大学の図書館にぼんやり憧れていた。わたしにとって小説を読むことは、現実逃避であり自分が共感できる人間探しだった。一般に本を読むことは良いことだとされるけど、別に読みたくなければ読まなきゃいいし、読んだってこのザマである()。

わたしは自分のために、自分がそうしたいから本を読んでいた。間違いない。

 

さて、一心不乱に文字を追っていたころから時間が経って、わたしは他人に偽りの自分ばかり見せている。ほんとは何にもできないことなんて自分が一番よく知っているし、同時に、何も無いなりに何かをやった(努力した)自分を一番知っている。努力は結果を生じなければそれはただの無駄な時間を過ごしたことに過ぎないが、わたしから見て他人は何でも(というか普通の感性を)持っている気がして、何も無い自分に焦るから、"なんでもできる"自分を繕ってしまう。

 

家族や結婚に価値を感じられないのは、なんかどうがんばっても考え直しても直らなそうだし、家族のためにがんばることが美徳とされる社会ではわたしはただひたすらひとりぼっちだし、それを補う何かを作らなければならないのに、何かができるふりに必死な自分が醜い。人のことを好きになっても家族になると考えると、「ア、わたしはいいです😅✋」となる。人の日常に興味がない。わたしとあっているこの瞬間にわたしの好きなあなたでいてくれればあとは何も求めないし何も求めないでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ、愛人(もしかしたらそれ以下)やん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでいいんだよなあ。社会的にだれかの1番になることは当然こちらも社会的責任が求められるし、そんなものは社会が認めた優先順位にすぎないし、そんな表面はほしくない。