臆病な自尊心
梅雨!サッカー!地獄👹👹
海外ニュースは"日本が勝った!"ではなく"コロンビアが負けた!"みたいなノリで報道してるところが多い気がする。
ダービー現地観戦して思ったけど、サッカーも現地観戦したらあの興奮にゾクゾクしたりするのかな。
今年、今、23年間生きてきて一番サッカーを(わたしなりに)関心を持っている ハズ。
時間と金をかけずして、つまり、自分が何らかの負担を負わずして得られるものなんてないと思うから、わたしは競馬が楽しめてる。考える時間、実際に馬券を買うお金を費やしてこそこう、自分に臨場感を持てるから楽しい。そもそも結局は運であり、騎手も血統もただの要素に過ぎないし、そこがまた好き。100円から始められるあんなにいい暇つぶしはない。
人間関係もいっしょで、金と時間を費やさなければ保てない。相手に歩み寄る時間、好きなものを知ろうとする時間、あとは何だろう。
誰も見ていないこのブログは、ただのわたしの思考の掃き溜めであるし、誰からも共感が得られない(自分には理解できないものが共感を得ていたりするから、またわたしはフツウに近づけていないと力が抜ける)し、将来読み返してフンと思たらそれでいい。
いわゆる文学作品で自分に響いたのが、『山月記』と『人間失格』なんだけど、タイトルの臆病な自尊心は、前者に出てくる有名なフレーズである。(尊大な羞恥心はまた後日書いてみたい)
自尊心って、ツイでいうところの"自己肯定感"で、自分に自信があること、そこまで言わなくても、今現状の自分に満足していることだと思っていて、わたしは身分不相応なことをしているから、臆病な自尊心から抜け出せない。すーぐ相手の気持ちを試すようなことをしてしまう。
サッカーで日本が勝って喜べることはすばらしい心持ちなんだけど、言わばわたしは、自分がサッカー日本代表になることを望んでしまうような感性しか持ってないのである。なんの努力もせずして。
でもなれないと心の底では理解してるし、想像もつくから努力を放棄して、日本が勝って喜んでいる人にフンと思ってしまう。まあ、ただ単純に本当に興味がないのもあるけど、興味を持てることは生きて行く上での暇つぶしを増やすためにも、興味を持てないことよりもずっといい。
サッカーは父を思い出すからいやなのもある。父は人を精神的に追い込む天才で、23になっても大きな声を出す人を見るとビクってなる。
家族や結婚になんの信憑性も見出せないから自分は"サッカー日本代表になりたい"などと考えてしまうのであり、サッカー日本代表も結婚して家族を持っていることにそこはかとない絶望というか、自分に対するあきらめを感じてしまう。
臆病な自尊心を棄てるには自分が変わるしかないし、わたしなりに一生懸命人間関係を保ちたい人に歩み寄ってみたい。人間関係を保ちたい人は、わたしよりも何倍もそして自然に、わたしに歩み寄ってくれるので、わたしもそんな風にしたい。ものすごくエネルギーがいるけど、そんな風にしてみたい。
自然に他人に歩み寄れる人は、わたしの知る限り、家族も結婚も信じているのだけど。