ろんぐたいむのーしー
メンヘラになると文章を書く気力が皆無になる
でも文章に起こすと後々色々おもしろい わたしはこのブログに一貫して、同じことしか書いてない、つまり、進歩がない
年が明けてしまったしもっと言うなら2月になってしまった わたしは何も新しいものを得ようとしていないし、そんな気力もない よく公僕試験勉強してたなという感じ
旅をするバイタリティとクラシックに響く精神性を失ったら、本当にわたしはオワリだな
びよりんに関しては、もっと上手くなりたいという意欲があるつもりだし、読みたい本がたくさんあるし、行きたい場所もあるんだけど、育ちが悪いコンプレックスがわたしをズタズタにするし、これは普通に育った人からすれば理解されないことだし想像できない感覚なんだよな
そもそもこういう思考回路が”甘え”なのかとか
自分がなんちゃって鬱病なことを人のせいにしてはいけないんだけど、本当に精神的に追い詰められた時、だれかの感性に自分の持ちうる手段全部を使っても届かなかったから自分の価値のなさを実感せざるを得ない
思い出の角砂糖を涙が溶かさないようにちまちまなめて生きていくんだけど、わたしはもうなめる角砂糖がない、それか、溶けきるのがこわいから上手くなめられないから、かえって一瞬でなめきってしまう
ああ文章がのらないな
ずーっと競争で、タテマエだけニコニコして、何が得られるのか
まあ大学4年間でトモダチと呼べる人を得られなかったわたしが何をいうかという感じだけど
わたしに与えられた、唯一といってもいい、他人と平等にある財産は、若いというただそれだけなんだけど、就職をして生きるために働いて、寂しさを紛らわすために家族を作ることは、若さの浪費にしか思えない、というか、狭い世界でルーティンをこなして生きていくことが、若さの浪費にしか思えない
たとえルーティンだとしても、自分が一番楽しくてワクワクできる場所にいたいしそんな場所を見つけるために若さを浪費したいし思い出の角砂糖をなめたい
苦労をしたという経験がその人を美しくしてくれるわけでも、苦労をすることがその後の人生の幸せの保証をしてくれるわけでもない 自分はこんなに辛い思いをしたんだって自負になり、人に優しくなれなくなるだけだと思う 想像力の範囲は経験に制限される
何書いてるんだろ
最近自分が不本意に人に嫌われるわけがわかってきたけど、なおすためにはこの思考回路を根本的に変えなきゃいけないけど、わたしは実家が嫌いだしサークルに価値を見出せないしスポーツに興味がないしどうしたらいいんだ(ただようアスペ感)