早く大人になりたい
子どもの頃はよくそう思ってた
大人は自由だから
さみしいかもしれないけど、子どものとき、絶対の存在だと思っていた親がわたしの中で揺らいだ瞬間のさみしさにはかなわない
何か物をこぼしたとき、ママはわたしをめちゃくちゃ怒るのに、ママが物をこぼしてもだれも怒らないのがうらやましかった
きっと大人にはその自由と釣り合うだけの不自由があるんだと想像がついたけど、それでも自由がほしかった わたしにとって親は最後の砦に感じられなかったから
みんな虚しさや不満と両立してだれかといっしょにいることを選んでいるんだろうけど、わたしは自分の手に入るものは全部欲しいし不本意なものに時間を割きたくない
なんかうまく書けないな
でも人生終わると思うと、一眼もマムートのパーカーも、べつにほしくなくなるんですよね
人殺してみたいとかモテたいとか思うほど他人に興味もわかないし、わたしはサイコパス以下のただの無気力な若者なのかな
1人になってコンプレックスを断ち切ったら、なんでも出来る気がする まあ何にもできないんだけど、不本意にいっしょにいることを強いられる人といっしょにいるよりは、なんでもできる気がする
わたしは音信不通の子に持ってる連絡先ほぼ教えてあるのに何にも連絡来やしないし、メンヘラになって切られる人間関係程度だったんだなという感じ
わたしが悪いんだろうし何が悪いのかって言ったら全部なんだろうし判断がつかない
大人になったら〜〜になる(〜〜をしたい)って未だに口にしてしまうんだけど、何者にもならないまま何もなさないまま死んでいくのよな
フツーの人間が名を残す方法って犯罪者になるのが1番手っ取り早いのでは
ママとか妻とか会社員で終わっていくなら旅人として人生終えたい
音楽家も研究者も親や夫がいるから成り立つのであって1人じゃママとか妻とかになるのか精一杯だから
一生かけてせまっこい一区画の土地のためにローン払って生きていくのゾッとする
別に土地がたくさん欲しいんじゃなくて、自分がなりうるのは一個の立場だけで、わたしが自分のなりたいものに1番近い立場になるには何したらいいんだろうという話
どんなに人生終わってるとかいう人でもママと仲良しだからわたしからしたら人生全然終わってない わたしには何もない
1回千字くらい書くことを目安にしてるんだけどあとでなんかのネタにでもなるかな
健全な精神を得るためには健全な、それでいて自分との差異に隔たりを感じてしまわない程度に健全な精神と近くにいる他ない気がする どんな距離関係であれ