Hermony of the spheres

思考の垂れ流し

夏休み

の終わりに鬱病の狭間を歩いている話

 

カウンセリング室デビューが現実的になってきたけど、持ち論として経験していない感情は理解できないというのがあるから、予想としてはカウンセリング室デビューでも救われないんだよね

 

まあそれでも行くんだけど

 

中学の時、”相談室”って呼ばれてる部屋があって、そこにいわゆる”登校拒否ではないけれど教室に行けない子”がたくさんいた。で、まぁわたしの言葉で言えば、たかがイチ学校でできることなんてないから、ひたすらその子たちを甘やかしてた。甘やかしてたっていうのは、その子たちの言い分を全肯定してた。果たしてそれが、結果的に誰の救いになったのかわからないし、まぁイチ学校ができることはそれしかないのかなとは思う。

 

 

そもそも世間一般に求められる普通の感性を持てなかったら、死ぬ以外に救いなんてないでしょ

大部分の人は、なりたい職業に就くとか、好きな人と結婚するとかで昇華していくんだけど、それに興味を持てなかったら、自殺しか救いがない

まあそうは言っても、死ぬ勇気なんてそうそう湧かないから、いろんな手段で鬱々とした思いをごまかしつつ、いつか自分の感情の目盛りが普通のラインに触れるまで、 どうにかこうにか生きるしかない

あくまで主観だけど、普通の感性を持てない自分に酔っているわけでは決してない ハズ

でもこのまま何者にもなれなかった自分を背負って生きていくのはつらすぎる

 

 

たまに、わたしのことを誤解して、自分のいい風に解釈する人がいるんだけど、ひたすら疲れてしまう

だれかといっしょに生きていくことがどう頭をひねって想像つかないし、詰まるところボロアパートでのたれ死ぬような精神性なんだと思う

 

 

だれかと深い関係になるのがコワイの♡なんてかわいい話ではなく、顔を合わせたら挨拶をするような関係以上のそれはいらない

 

 

まだ学生身分だからという前提にしても、例えば正規雇用で就職するとか、家族を持つとか、そういうことに全く価値を感じない(いずれ、価値というより必要性を感じるのかもしれないけど)

 

 

 

例えばフリーターになっても、優秀な人間なら、それなりに資質ある人間なら、なんらかの形で道が拓けるだろうし、そうでないなら、わたしはそこまでの人間だったということになる

とにかくシャカイガ〜とかそういうのどうでもいいから、自分で息を吸って自分で生きていきたい そうじゃなきゃ死にたい 他人に自分の人生に介入される要素を持たれるのが無理

 

 

 

こんな感じなんだけど、やっぱりメンヘラ病院行きなんだろうか

生まれ変わったら真っ当な感性を持って、自分の置かれた環境を普通と思える人間か、ソリストか、無機物になりたい

 

 

無機物にも感情があったらどうしよう