ポッキーを食べながら考える
トッポ派だったけどポッキーおいしいじゃん😳
わたしは性格が悪い(自明)けど、自分が間違ったことを言っているとは思わない(から救いようがない)
たとえば、わたしは人と比べて「さみしい」という感情を抱くことが少ない
「家族に会えなくて」さみしいなどと思ったことがあっただろうか(友だちに会えなくてさみしいは多少ある)
「さみしい」という感情はどういう時に生まれるのか なぜ生まれるのか
思うに「さみしい」という感情は自分に足りない何かの不足がはっきりと認識できるようになったとき、自分の精神の安定を図るかめにうまれるのだ
わたしの持ち論に、「自分さえ良ければいい」がニンゲンの本質である というのがある
これはもちろん、極端な言い回しである
わかりやすくいうならば、親が子どもをかわいいと思うのは、「自分が」愛する人の(少なくともこの場では愛する人の としておく)子どもを、「自分で」手間と労力と様々なものを懸けて作った結果だからである
ママはあなたのことを無条件に愛してるのよ♡というのは「自分本位さ」を隠すためのやさしいことばでしかない
そう、「やさしいことば」はそこら中にあふれているのだ...
余談ではあるが、ワタシは、自分が産んだ子どもが他者にも無条件でかわいがってもらえると信じる「やさしい」ママとパパが大嫌いである
「さみしい」の話に戻ろう
わたしはさみしさは精神の安定を求める本能から来るものだと書いた
わたしは「さみしい」と感じることが少ないと書いた
となればわたしは「精神が安定している」ことになってしまうのだ!
「友だちがほしい」「彼氏がほしい」などという人と関わりたい欲は、さみしさから来るものだと思ってますが、ただ単にワタシが究極の社会不適合者なだけなようです
いつもここで、議論が止まってしまう
ニンゲンの精神性は、頭の悪いワタシが考えるより、うんと崇高で、ワタシのチンケな想像力が及ばないほどに、深淵にあるのか
カッコつけて書いてみたけど、世間一般とのズレに精神崩壊しそうだよって話
ポッキーおいちいおいちいだね😊