Hermony of the spheres

思考の垂れ流し

11月

どんどんクリスマスな街並みになっていくのか 

今年もわたしは何も見つけられなかったな

何度も同じこと書くけど後で読み返しておもしろいのと思考整理のためにブログ書いてるけどいーっつも同じこと書いてるように思う

死にたいか生きたいか聞かれたらラクに死にたい どうして死んじゃいけないかわからない 23歳なのに 勇気がないから死ねないだけじゃないの?

 

大学生になって1番嬉しかったことはヴァイオリンができたこと それ以外にない

どんなに鬱なときもわたしの精神に響くのは音楽だから、どんなに自分が仲いいと思ってた人が辛いとき、自分ごときが何を言ってもその人の心には届かないし、自分が辛いときはひたすら、精神に響くものを探すか死ぬかするしかない

 

生まれ変わってもまた、音楽が好きな精神性がほしい

 

 

昔は他人の学歴が気になったり、ゆーて自分はいわゆるネームバリューのあるところで働くものだと思ってた

なんかそういうの、どうでもよくなったってなったら変だけど、関心がなくなった

わたしは、ペーパーテストではそういうところにいけるかもしれないけど、ペーパーテストなんてまあガチればなんとかなるわけで、そこにいる人たちと精神性が合わない

みんないい子ちゃんだしお育ちがいい

 

この事実に気付いたのは高校受験後だったんだけど、8年経ってますます違和感が募る

自分が精神的にラクな場所と自分が目指したい、いきたいと思っていた場所は違うんだ

 

自己肯定感が低い人は自分のことを自己肯定感が低いなんて評価しないだろうから、わたしのはなんなんだろう

自分が入れた瞬間、入ろうとしていた母集団は自分の中で価値をなくす

 

 

おそらく自分の自意識が及ぶ場所を見つけておかないと孤独感に耐えられなくなってしまうからなんだろう 家族も、大学も会社も、なんかイッパシの理由をつけて、所有格のつく関係を意識して作らないと、孤独になりすぎちゃうんだろう

 

お金があったことないからわからないけど、お金があっても孤独なのかなあ お金があったらそこら中旅して回りたいし無限に寝たいんだけど、お金があったことないからわかんないや

 

 

わたしは怠惰で傲慢でどうしようもない人間なのか それすらわからない 判断がつかない だから人と関わることが必要なんだけど

 

シェムリアップって音が好きすぎてシェムリアップは行きたいし京都に紅葉を見に行きたい 

楽しそうに見える人も楽しいように努力をしているんだろうけどわたしは一人で寝ている方がラクだしそれより努力をすることが楽しいと思えないしどうしようもないなという感じ

タラレバ

わたしはどうして、フツーに馴染めない(馴染まない)精神性を持ってしまったのだろう

 

わたしのこの、常につきまとう鬱々とした気持ちは、”社会に興味ない自分カッケー””異端な自分サイコー”なんてカッコつけた、若気の至りあるあるから生まれたものなのか そうでないことを祈りたいけど自分では判断がつかない

 

 

↑ここまで昨日の

 

ぶやぶや着くまで暇なので

 

 

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大好きなブレハッチのリサイタルに行けた

また人生における悔いがなくなった

ブレハッチイケメンだった

わたしの好きなソリストはほぼ東欧の人だから東欧産のびよりんを買ってみたい

 

 

 

 

環境のせいにするのは甘え みたいな風潮があるけど、わたしは8割方環境がその人を決めるし、自分の育ちからは逃れられないと思う

そして、逆境を乗り越えてっょくなって、”環境のせいにするのは甘え”みたいな境地に達したら、きっと、もう人に優しくできなくなってしまうと思う

 

ワタシは自分自身のアイデンティティ、というか自分自身への愛着から逃れられないし、自分自身を完全に俯瞰するなんて不可能だと思うから

 

 

 

タイトルに戻ると、わたしが普通の感性を持っているにはどうしたらよかったかという話

 

まずわたしは、喘息がひどかった

幼稚園の頃、もっと小さい頃から、自分の意思とは関係なく突然咳が止まらなくなって息ができなくなってものすごい見た目になる

コンプレックスだった

そして当たり前だけど、親でさえも、周囲はなおさら、わたしの苦しみなんてわからない(と同様に、わたしもわたし以外の苦しみを理解することはできない)

嫌なことがあるとそれがストレスになって咳が出る

甘えだ みたいなことをたくさん言われた

わたしにはそれを乗り越えてまで人とコミュニケーションをとる気力がなかった

 

 

次にわたしは、家族がわからない

人と関わるようになって驚いたことは、世間一般の親は子どもにブスとか土人とか言わないのだ どんなにピアノが下手くそでも、花嫁衣装のようなドレスを着て、小さな発表会にも臨むのである

 

 

これは自分でもよろしくない表現だと思うけど、もう少しまともなカゾクを持ち合わせていたら、音大生くらいにはなれていたと思う

 

わたしは、自分と遊ぶ約束をした人に、家族を理由に断られるのが死ぬほど嫌いだった 自分のことくらい自分の意思で決めて断れよと思っていた

 

でも引っ越してきて、またいろんな人を知って、こんな気持ちで断るんだろうなってのが想像つくようにはなったから周囲に圧倒的感謝である

 

置かれた環境で咲くとかいうパワーワードがまかり通るならわたしは一生底辺だから、縁が切れて困る人もわずかだし、精一杯自分の好きなようにしぬ勇気が出るまで生きてみたい

 

 

 

 

今まで犯罪も犯してないし自殺未遂もせずによく生きてきたな自分って感じなんだけど、わたしには何か言われてこの人が言うならやめよう、みたいな自分のストッパーになってくれる人、追いかけたくなるほど好きな人を見つけられるほど精神的な豊かさがないことをかなしく思います

 

 

音楽だけが精神に染み渡るし、音楽だけが救い

 

 

星を数える

同じタイトルで2つブログ書いちゃったの、頭悪そうだし実際頭悪いしミスった

 

 

 

 

さてタイトル

雲仙で見た星はきれいだった

めちゃくちゃきれいだった

冬は雲がないからもっっっっときれいなんだって

しかも地熱で地面があったかいの

星がみたい

 

 

わたしはワガママだから、人に誕生日教えるのが好きじゃなくて、なんでかっつーと、どうでもいい人の誕生日なんてどうでもいいじゃん?

まぁ10月はわたしの誕生月です()

22歳を、好きな人ができることなく、音信不通の子と会うことなく終えてしまいそうです

 

わたしには生きる基盤がない

社会において生きる基盤は家族なんだけど、何でもかんでも家族が仲良い前提で話が始まる

わたしは家族に本音を言えたことがない

たとえばわたしは音大生になりたかったけど、反対されて喧嘩になると、「出て行け」って言われて本当に外に放り出されるから、父の言う通り、最適解を予測して、将来の夢は法曹にしてた

 

これはわたしが”勝手に”言い始めたことだから、周囲はわたしが”自発的に”法曹になりたいのだと思い込む

 

まぁ法曹には少しなりたかった

法律は社会のルールだから、「出てけ」と言われたときに、対抗する手段になるかなと思ってたから

 

未成年はいくら「出てけ」と言われて耐えきれずに家出しても、ただの家出少女の域を出ないのである

 

ロクに保護されなくても、十分に保護されているという前提で、子どもには家出少女のレッテルが貼られるのだ

 

 

わたしは出ていきたかったし、親がいないほうが将来金も同情も得やすいし、マシだと思ってた

 

何度も書くけど、就活をしなくていい人生、リクスーを着なくていい人生、ビジネスという単語に縁のない人生がわたしは理想だと思うし、夜中にこんなブログを書いているのは絶望的だと思う

 

 

 

結婚して子ども産んで死んでいく人生を受け入れなくちゃならないなら死んだほうがマシだし、周りは生きる基盤がある人ばっかりだし、わたしの人生これからどうなるんだという感じ

 

 

人に対して卑屈になっちゃうからだれとも仲良くできないし、たまにわたしのことを勝手に誤解してあとで愛想つかしてくる人もほんとむり 結局1人しかむり

 

大学に行く気が全く起こらない秋のはじまり

 

 

なんかもうわたしが悪いっていうなら弁解の気力も余地もないから、メンヘラ病院にブチ込むなり殺すなりしてほしい

 

夏休み

の終わりに鬱病の狭間を歩いている話

 

カウンセリング室デビューが現実的になってきたけど、持ち論として経験していない感情は理解できないというのがあるから、予想としてはカウンセリング室デビューでも救われないんだよね

 

まあそれでも行くんだけど

 

中学の時、”相談室”って呼ばれてる部屋があって、そこにいわゆる”登校拒否ではないけれど教室に行けない子”がたくさんいた。で、まぁわたしの言葉で言えば、たかがイチ学校でできることなんてないから、ひたすらその子たちを甘やかしてた。甘やかしてたっていうのは、その子たちの言い分を全肯定してた。果たしてそれが、結果的に誰の救いになったのかわからないし、まぁイチ学校ができることはそれしかないのかなとは思う。

 

 

そもそも世間一般に求められる普通の感性を持てなかったら、死ぬ以外に救いなんてないでしょ

大部分の人は、なりたい職業に就くとか、好きな人と結婚するとかで昇華していくんだけど、それに興味を持てなかったら、自殺しか救いがない

まあそうは言っても、死ぬ勇気なんてそうそう湧かないから、いろんな手段で鬱々とした思いをごまかしつつ、いつか自分の感情の目盛りが普通のラインに触れるまで、 どうにかこうにか生きるしかない

あくまで主観だけど、普通の感性を持てない自分に酔っているわけでは決してない ハズ

でもこのまま何者にもなれなかった自分を背負って生きていくのはつらすぎる

 

 

たまに、わたしのことを誤解して、自分のいい風に解釈する人がいるんだけど、ひたすら疲れてしまう

だれかといっしょに生きていくことがどう頭をひねって想像つかないし、詰まるところボロアパートでのたれ死ぬような精神性なんだと思う

 

 

だれかと深い関係になるのがコワイの♡なんてかわいい話ではなく、顔を合わせたら挨拶をするような関係以上のそれはいらない

 

 

まだ学生身分だからという前提にしても、例えば正規雇用で就職するとか、家族を持つとか、そういうことに全く価値を感じない(いずれ、価値というより必要性を感じるのかもしれないけど)

 

 

 

例えばフリーターになっても、優秀な人間なら、それなりに資質ある人間なら、なんらかの形で道が拓けるだろうし、そうでないなら、わたしはそこまでの人間だったということになる

とにかくシャカイガ〜とかそういうのどうでもいいから、自分で息を吸って自分で生きていきたい そうじゃなきゃ死にたい 他人に自分の人生に介入される要素を持たれるのが無理

 

 

 

こんな感じなんだけど、やっぱりメンヘラ病院行きなんだろうか

生まれ変わったら真っ当な感性を持って、自分の置かれた環境を普通と思える人間か、ソリストか、無機物になりたい

 

 

無機物にも感情があったらどうしよう

9月

東京に帰ってきたら一気に気候が秋になってました。

5月の終わり頃に夏の匂いを感じてさみしくなったのを覚えていますが、秋の匂いを感じてもまたさみしくて、わたしは一体何を求めているのでしょうか。

 

長崎から帰ってきて音信不通の子の夢を見ました。これはわたしの自己満なんですけど、元気なところを確認したいですね。10月でわたしの親友と会ってない1年アニバーサリーです。

 

 

高2の頃から仲良しで、ずっと仲良しで、遊べるんだと思ってた。わたしはこれから、どのくらい精神を殺して、普通に溶け込むことに気持ちを向けなきゃならないんだろう。

これは自論だけど、今のご時世どこもブラックなのはいっしょだし、貧乏かもしれないけど比較的時間を自由に使えるバイト身分がいい気がしてならない。正規雇用のメリットisなに

 

わたしはさみしくてもだれかと出会おうとは思わないし、そもそもが人と関わりたくないからずうっとネットでばよりんの動画見てるし、ナンパとかする人される人すごいと思う。

じゃあわたしは実はさみしいと感じてない説が浮上してきました。

ある1人が精神的にさみしさを感じない人なんて全人類の何分の一かだろうし、積極的にその母数にアタックするのも一つの手なんだけど、まぁ当たらない確率の方が多いし、わたしは無理〜〜ってなる

 

 

人生どうでも飯田橋だからなんの気力もないし、自分の持つギリギリの能力で生きてる時にしか楽しみを感じられない

だから旅が好きなんだと思う

 

 

 

何度も言うけど人にもらった100より自分が泥だらけになって得た10が好きだし価値を感じるからニンゲンと共同生活ができない

自分の時間をかけるに値する人なんてそうそういないとおもうし、自分はだれかの時間を奪える価値のあるニンゲンではないので

 

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そのうち自滅しそうなんだけど、自分が招いたことだしどうでもいいかなって

 

孔子廟に行けてよかったです

五島は福江しか行けなかったからまたリベンジしたいし、自己満足で子育てをして子どもに精神安定を求める人になりたくないし、自分の存在理由は自分で決める人にならないといけない 

 

チャラくない(外見がこわくない)美容師に髪を適当になんとかしてほしい

こうなりたいとか特にないから

夏休み

学生生活最後の夏休み。もう1ヶ月以上の長期休暇がないと思うと、働く気が1ミリもわかない。不労所得がほちい。

 

 

 

健全な人は、たとえ有閑マダムになったとしても、”社会と関わりたいから”働くらしい。

わたしみたいな貧乏人は、資産がないから時間を売るわけですけど、スゴイ発言だなと思いました。許されるならずうぅっと旅がしたいし引きこもりたいし寝たい。どんだけ健全な感性を持ったらお金は二の次で社会と関わるために時間を売ろうと思うんだろう。そしてその発言は、あなたを養う資産のある人の存在を前提にしたものなんだよな。一生分かり合えない。解散。

 

わたしは音楽がやりたいし、ほしいものがほしいし、旅行がしたいから。あとは大前提としてだれにも、「だれが金を出してやってるんだ」って言われたくないから働くんだ、、、

 

わたしが生涯をかけるに値する組織かどうかなんてそう簡単に判断がつかないから、わたしが貴重な新卒童貞を捧げるに値する組織を探したつもりだけどイマイチ見つからないし、就活する前から思っていた、大企業に勤めようとコンビニフリーターだろうと、なんつーか、みんな持たざる者であることに変わりはないんだという認識は変わらなかった。むしろフリーターの方が、フリーターで生きていけるだけノーブルなのでは。

 

 

ラーメンが食べたい🍜

 

 

 

 

 

何を言いたいかというと、労働者身分は自分の所属する組織にアイデンティティを見出して生きていくわけで、自分自身が所属する価値を見いだせなければ、そこには労働者身分の自分が残るだけで虚無になるってのと、そもそも自分が自分の所属する組織にアイデンティティを感じる要因は、きっと社会的なものが大半で、結婚も出産も興味ないわたしみたいなのは、一生フリーターにしかなれないんだろうなって。

さらによろしくないのは、真っ当に生きてる方からすればナメくさってる、この考えをわたし自身は間違いだと思わないこと。問題は、わたしはフリーターで生きていける階級ではきっとないことにある。

 

 

自分で友だちだと思ってた人に何の価値も見出されてなかったのはかなりかなしいし、それがわたしに与えられた結果なんだろうけど、その子とはかなり色々な話をお互いにしたと思ってたから、かなしいプラス衝撃。わたしはこれから死ぬまで精神を殺して生きていくんだろうな。音楽があって本当に良かった。

 

 

 

食べ放題では理性を持って楽しみたい。たくさん食べなかったら負けみたいな考えを早く捨てないといけない。f:id:lovevioliin:20170803230917j:image

 

レインボーマーブル大好き

もっと店舗増やしてほしい

雑記

未来のわたしへ

 

きみはどうしようもなく無能で怠惰で救いようがありません。きみのそんなところ、あとは徹底的に思いやりのないところが、音信不通の子に嫌がられたんでしょう。学生身分を失って、安寧の上にあぐらをかくことが許されなくなったとき、自分に必要なのは、得なければいけないのはなにかわかることでしょう。過去のわたしからすれば、今の現状が精一杯だったし、早く自由(当たり前に不自由が伴うんだけど)を得てみたいななんてナメたことを考えてたりしています。何度やっても同じ結果が出ると思います。わたしは無能だから、経験していない痛みを想像し回避するよう努力するということができません。過去のわたしのブログを読み返すと随分ナメくさったことを書いているなと失笑を禁じ得ないのですが、未来のわたしもそう思っているのでしょうか。それはきっと成長の証です。どうやらわたしは”間違っている”らしいので。

 

某専門職試験に落ちた過去のわたしより

 

 

 

 

 

 

やりたいこと

旅行準備

図書館ひきこもって本読む

カイザー音階練習

あいえるちゅ

憲法学の本漁る

せっかくちびっとだけ法律勉強したんだし、法律の本読む(ざっくりすぎる)

 

 

 

 

 

どこもかしこもSE募集してるんですけど、SEってなんですか

 

 

教えてエロい人

 

 

 

 

レポートやりつつ、気の済むまで、時間の許すまで落ち込む

 

どんなふうに進むかわからないけど、あいえるちゅはいずれやらなきゃいけなくなる

 

シェアハウス住めば、フリーターでも来年一人暮らしワンチャンなことを発見して精神が落ち着いた

シフトに融通きくフリーターの方が、ちょっとだけならいい気もする(そのうち泥沼にはまりそう)

わたしは無限の関係(仕事とかはやめちゃったりすれば関係切れるから有限)で人と共生するのがほんとうに無理っぽい

 

 

 

早く東本願寺西本願寺の違いを無限に調べてドツボにハマるやつやりたい

 

 

 

 

一人暮らしができれば仕事なんでもいい...