想像すること
アレクサンドロス、というバンドがあるそうですね(最近知りました)
アレクサンドロス、と言えば、フィリッポス2世の息子、アレクサンドロス3世を想像してしまうし、イッソスの戦いでダレイオス3世と戦ったんだよなと思い出すし、はたまたロマノフ朝のアレクサンドル1世を想像するし、「誠実なる連隊長」の自称を思い出します。
うーん、世界史は最高!(ただ単に記憶するのはおもしろいし、記憶したものが連鎖してスラスラ出てくるのは快感)
わたしには、大学1年の時から仲良しのおばちゃんがいます。その人は、わたしにとってもゆるやかであったかい優しさをくれます。その人といると、精神的に本当に穏やかで、普通のなんたるかを想像することができます。
ママと仲が良いっていうのは、ひょっとしたらこんな感情なのかなと想像します。ずっと仲良くいられますように。
その人といると、ママのいいところ、やっぱりこわいところ、思い出すことができます。(ママって実際には呼んでないけど、ママって書いた方が、なんか、平和そうじゃない?)
わたしを勉強に駆り立てるのは、その人が試験に合格したら喜ぶと思うから、という自意識にほかならず、そこまでわかっているワタシはけっこうマシなんじゃと思ってしまうあたり、相当に自意識過剰だなと笑
香港まであと少しになりました。マカオまで足を伸ばしたいし、友だちのみたい場所に、迷わずに全部いけるといいな
音楽ができて、試験に集中できる環境で、身に余る幸せだと思っています。いつかこの、穏やかな精神状態を自分で自ら壊すことがないように、努力しないと。
音信不通だった子から、手紙の頻度が増えました。春ですね。
今日はとってもいいお天気で、去年、その子と千鳥ヶ淵に桜を見に行った日と同じような匂いのする陽気で、泣きたくなってしまいました。
わたしも、歯を食いしばって足を踏ん張らないといけない。自分でそういう道を選んだんだから。
記録
何も書くことが思いつかないのは、その日自分が何も為さなかったことの証であるように思います。
今日の説明会で、「本当は大学院に進み、研究者になりたかった」という人のお話を聞きました。いろんな人がいていいんですよね。「〜でなければいけない」という固定観念で、わたしは自分をぐるぐる巻きにしているのかもしれません。
でも、「お前は人としての義務を果たせ」みたいなことを言われます。わたしは、時間を守るし、自殺未遂を繰り返さないし、借金をしていないし、求められた場では相応に愛想良くするし、法に触れることをしません。わたしは何を間違えているのでしょうか。わたしの何が間違っているのでしょうか。自分が必要を感じない人間とは話さないところでしょうか。同世代の人間に「共感」できないところでしょうか。少なくとも今現在、わたしは牢屋の中にいないので、人間の義務を遵守していると思いたいのですが、やはり人からの評価が芳しくないので、まだまだ精神を殺す必要があるんでしょう。
なんの必要もなく、興味のない人間と時間を過ごすのって、人生の無駄じゃないですか?ア、「人間の義務」が果たせている人は、そこに、「もしかしたら仲良くなれるという可能性」を見出すのでしょうか。
今この場所で言っても状況が変わらないことを言う、自分にプラスマイナス何も及ぼさない人間に精神を割いてマイナスの感情を持つ、めちゃくちゃ人生の無駄
わたしは、死ぬ勇気もない人間なので、せめてこれ以上、人生において負け戦をしないようにしなきゃならない 勝たなきゃならない 自分の精神の安寧のために
西武のバレンタインフェアが、いろんなチョコがあって、とても楽しかった
これから先、チョコをあげたいかれぴができたら、なんかこう、混んでる会場でスキップしちゃうくらいわくわくするのかな
デジレーってメーカーが気に入ったのですが、お値段がお手頃で有名だそうで笑
自分は安い人間だなと思いました。なんか、去年も、デジレーがおいしいと言っていたような気もします。
高いチョコって、カカオの割合が高くて、貧乏人の舌には合わないんですよね。おいしいちょこれいつに巡り会いたいものです。
わたしは、一貫して思っていることだけど、ある事象について意見を述べられる人間になりたいです。
肯定するしかないという絶望
はいタイトルから鬱全開
ウェーイwwwwwww(半角にするのすらめんどくさい)
よくさぁ、「病む」っていうじゃないですか。わたしは「病んで」いるのでしょうか。でも、わたしは、物心ついたときからこんなテンションだから、別に病んでないのかなあとも思います。
わたしには、「どうせわたしなんて」という卑屈な感情が常に付きまとう。幼稚園の年少さんの頃に、「どうせピアニストにはなれない」と思った。「努力は報われる」なんてただの聞こえのいい言葉だ、なんて言う人はある一定数存在しそうです。「じぶんのやったことが結果として身を結んだとき、それを努力したというのだ。」と。
わたしはある一定数はいるであろうメジャーなマイノリティの言葉すら、なんだかしっくりこないのです。
まあ普通に考えれば、わたしに常に付きまとう卑屈な感情は、わたしが生み出した、努力をしないわたし自身の、言い訳なのでしょう。否定はできません。
わたしが言いたいのは、タイトルの通り、「肯定するしかない さもなくば」ということです。受験に落ちた、好きなあの子にフラれた、毎日がつまらない、電車で座れない、友だちがいない、等
そういった、「絶望」に遭遇したとき、選択肢が、「それでも頑張って生きていくしかない」って、めちゃくちゃ残酷じゃありませんか。
時にそういった言葉は、「今の大学でがんばればいいよ」、「まあまた出会いがあるさ」など、励ましというプラスの評価をされて出てくるわけですが、究極的には、現状を受け入れるか、さもなくば、という形になるように思えてしまいます。
さもなくば、の後に続く選択肢は、認められてはいないのです。
わたしは卑屈な捻くれ者なんですかね。まあ一部、わたしが人より絶望していると考えるのは、自身の驕りであることは認めます。
わたしは、その時にすべき努力を十分にしてこなかったから、どんどん登るべき階段が高くなっていて、足をかけることすらできなくなっている、そんな風にも思います。と、いうかそうなんでしょう。
自分に自身を持つには、これでもかと勉強して、疑いを少しでも減らすしかないのに。
わたしは、どうなるんだろう。実家に帰らなければなんでもいい。マジでこのブログでもツイッターでも、精神分析してほしい。純粋に興味がある。
放牧されたい
放牧されたくない?
なんというか、放牧されたい。放牧されてるメイツ🙋🙋🙋は、将来食べられちゃう不安とかあるのかなあ。
人間だけが言葉を持つとか、自分の存在がなくなることをこわがるとかいうのは、人間の驕りだけど。まあなんというか、わたしたちは人間だからそれ以上の領域にまで意識を入れられないし当たり前なんだけどさ。これってわたしが言ってる、経験したこと以外考えられない のいい例えじゃない?科学的に証明されてるかもしれないけど、わたしたちが経験した科学よりもっと広範なカガクがあるかもしれない。
あと同様に、いわゆる鬱が本当にわからない。わたしは鬱になって外に出られなくなるとかはないと思う。その間だれかに頼って生きていかなきゃいかないことがそもそも鬱だし、むり。死ぬときは声かけてくれよって感じ。
何度も書くけどソリストになれない時点でわたしの人生に価値はないし、そんなことないよって言うやつは頭おかしい。わたしの人生の価値はわたしが決めるんだよ。意味ない。ハイ終了!
...自殺する勇気もない(失敗して障害が残ったらそれこそ惨め)し、なんとか1人で生きていきたい。そのためには、その手段として、働かなくちゃいけない。なんか、家族がいるから休みの日に好きなように行動できないとかそれこそメンヘラになりそうだし、そういう面もひっくるめて、人といることにメリットを感じない。旦那さんがどんな稼ぎ良くても、それが他人であることには変わりはないし、見捨てられないために自分も役割を果たさなきゃいけないし、窮屈すぎる。
そんなことをブチブチ語れる友だちを失ってしまいました。本当に、ふとした時に、わたしはひとりぼっちだなと笑ってしまいます。ひとりぼっちって言葉、なんというか好きじゃないけど。
わたしはこれから、きれいに育った人間をたくさん見ることになるんだろうし、そういう場所に自分がいこうとしているんだから仕方ないんだけど、どうしたらいいんだかわからなくなる。
音信不通の子、ちゃんと連絡を取りたいんだけど、それに割く心の余裕もなく、つまり、わたしは「おもしろければ(わたしの望む以上のレスポンスをくれれば)だれでもいいんだ」という人間なのであって、だから、「彼女以上の友だちはできなそう」って思うのかと、性根の腐りを実感してます。
放牧されたい。人間のまま放牧されたら、なんか絵面的に気持ち悪いから、なんか別のもの(あるいは感情を失った人間)になって、放牧されたい。
春休み!
ああツイッターをやめたい
中国語再々履修免れそうでよかった あと、ばよりんの先生に褒められて嬉しかった ばよりんはわたしの生き甲斐だし、音楽があって本当によかった
読書に音楽鑑賞に、わたしの趣味は1人わたしが五体満足で生きてれば成り立つ趣味ばかりだから、ツイッターやってれば十分みたいになっちゃうんだろうなあ
人間的な深みのある人って、どういう人なんだろう 色々泣いて笑って、苦しいことを乗り越えたとしても、人間的な深みが出るかどうかは、けっきょくその人の持って生まれた資質になっちゃうのかなあ
たとえばわたしは、親から一切家賃と学費以外お金をもらってないから、何もかも出してもらってるって人よりは、「1人で生きている」って思ってしまうんだけど、それは、きっと、間違いなんだよな 親に何もかも出してもらってる人は、わたしよりまともな人間関係を家族と築けてきたわけで、そもそも無意識に「〜のほうが...」とか考えちゃってるわたしにこそ人格的問題があるわけで
わたしは、わたしに優しくしてくれた人に恥ずかしくないようにしなきゃいけない 応援してほしい人に応援してもらえるわたしでいなくちゃいけないし、そうなりたい
ちゃんと自立して生きていけますように いつか先生みたいな、自分が好きになってほしい人に出会ったら、好きになってもらえますように ばよりんがもっとうまくなれますように
メンヘラっていつ治るのかなあ わたしが、時間が経つのにかまけてその子を忘れてしまいそうだから、早く治れメンヘラ
3年生終わり
明日で試験が終わるから、実質大学3年目終了 早いなあ
毎日ブログ書いて、ツイッターやめたい
人間関係構築維持能力がないのに、文章構成能力までなくなったら笑えない
わたしは、希望としては、能力もバックボーンもないくせに、博士までいってみたいし、専攻分野は愛してるつもりなのですが、ふっと、中卒で働いた方が、「社会様に貢献」できた人間だったのではないかと、思う頻度が増えてきました。今更何を言っても遅いし、「社会様に貢献」だなんてクソだと思いますが、なんというか、「人間の義務」を果たして生きていかなければならないらしいです。なんだそれ
まあだから、わたしなりにできる社会貢献は、とっとと単純労働力として使い果たされることなのかなあとか、子供を産んで少子高齢化に歯止めをかけることなのかなあ、とか
どっちもやりたくないけど
音信不通の子からお手紙がきました。生きててよかったです。前に、中学生の女の子が2人で手を繋いで電車に飛び込んだ事故がありましたが、わたしもその子が死にたいなら、手を繋いで線路にでも屋上からでも飛び降りたい そうじゃないと、時間が経つ方がうんと早くて、その子のことを忘れてしまいそう
中学生の事件は、2人とも死ねてよかったと思う 生き残ったら、どんなに仲が良くて、約束した上でのことだとしても、10代前半にして社会様の中で生きていけなくなっちゃう
人の気持ちを考えろなんて言うけど、自己満足もいいところで、自分が経験が、自分が考えられることの限界なんだよな
だから、わたしは、音信不通の子の気持ちがちっともわからないし、どうしたらいいかもわからないし、いっしょにしのうか、くらいしか言えることがない
北京にいって故宮をみたら、我が人生に悔いなし、になる
痛いの嫌いだから自殺する勇気もないし、低学歴だからなんたら省のインターンに落ちるし、春休み、北京の帰りの飛行機が落ちることを期待して、少しでも勝てるように、知識を増やしたい
生まれ変わったら絶対に音楽家になりたいし、吹き抜けから音楽が溢れてくるような家に育ちたい
わたしはメンヘラなのかなあ でも、外に出るの好きだし、スマホさわれないほど病んでないし、バイトもいけてるし、まだまだ健全なのかなあ
春休みはもーっと、ばよりんがうまくなれますように 中国語が再々履になりませんように
浅田次郎の新しいシリーズ出たから読みたいし、早く文庫化してくれ
卒論の文献リスト作らないと
2017
空挺団降下はじめに、バイト先に財布を忘れて行けなかった 頭が悪すぎるというか、ただただ辛い
そういやバイト先お通夜ムードなんだよな 辛い
友だちが多ければ冠婚葬祭の数もそれだけ増えるわけで、やっぱり1人でいいやと思いました わたしが死んだらそこらへんの土に埋めるなり腐るのを待って土に還すなりしてください
でも、それぞれ生きてきた文化のやり方で適切に埋葬されなかったら、死後の世界でも苦しむとかあるのかな
たとえば、内臓が一個なかったら、死んだらそのまんまの状態で生活(?)しなきゃいけなかったりするのかな
妖怪ウォッチ最近みてるけど、おもしろいけど、しんだらあんなふうにだれかとかかわりたくないな
輪廻転生って恐ろしい考え方ですね 死んでまでまた生きるって考えてるところに、執着を感じてこわい
友だちと音信不通なわけですが、友情って儚いなって思いました
わたしは、なんでも話せるしどこいっても楽しいし、いっしょにいて楽って思ってたけど、それはわたしだけで、向こうはそう思ってなかったわけで
決めつけるのは卑屈だけど、彼女以上の友だちはいないし、なんていうか、わたしなりに、ある一定のオトナの社交性の上に成り立つ(のか知らないけど)、どうでもいい人間関係を築いていくんだろうな
たまに思うんだけど、すごい変なこと言うけど、わたしはバチが当たってるのかな
「人としての義務を果たしてないから」
家族と仲良くするとか、人間関係をちゃんと維持するとか、あとはなんだろ
前までは、やれるもんならやってみろって思ってたけど、友だちと音信不通になってちょっとこわくなった
でもわたしは今が1番楽しい
楽器ができて、本が読めて、大きな声を聞かなくてすむから
北京と香港いくのほんと楽しみ ばよりんがなかったら毎日自殺したかったと思う
わたしもスクールカウンセラーのところにでもいこうかな
こうして人は図らずも、スピリチュアルな方向に、宗教に向かうのかなとか考えてしまう